2012/06/30

本物のRT-1Sに乗れ

今の時代はツイッターやフェイスブックが大人気だ
やっぱり人はつくづく寂しがり屋なのだと思う
どこかで人とつながっていたいのだ
昔も今も、形は変われど人の付き合いが大事にされてきた
文通、黒電話、ポケットベル、携帯電話、スマートフォン・・

そう考えると、車バイクが流行っていた時代
(1980~90年代)
その人気は果たして車そのものの機能だったのだろうか?
もしかするとそうではなくて(それは二の次で)
その頃はコミュニケーションツールが希薄だった
車バイクがそのコミュニケーションツールを
担っていたのではなかろうか?

共通の車の話題、共通の車の趣味を持つことによって
つながりが生まれ、人々は集まった
バカなことがネタになって大いに笑った
俺のハコスカのブレーキキャリパーはセンチュリーだぜとか
当時流行ったナイトライダーのイルミを付けてる友人もいた

それが今はコミュニケーションする時に
車を必要としなくなったのだろう
SNSなら直接会うこともなく、気疲れもなく
(ワンストップが入る)
とはいいつつ常に送受信してつながっている
絶妙なつながり方だ
リアルタイム・ワンストップ・・RT-1S
まるでバイクかなんかの名前みたいだな笑

しかもそのコミュニケーションは公開されていて
仲間を増やす方向に働く
その道具としてスマートフォンは必携だ
それが車バイクに比べたら格安でできるんだから
若者が皆そっちにいくわけだ
(すみません私はやったことありません笑
 一歩距離を置いてます)

でも先のことを考えたら
それは寂しいことにならないだろうか?

私も若い頃は意気揚々
過去のことを考えていても意味がない
先の未来のことばかりを考えていた
宇宙戦艦ヤマト、宇宙開発、999、機械人間・・

ところがこれが歳を取ってくると
逆に未来をあまり考えたくない
それは夢や希望もどんどん可能性が少なくなって
(どひゃー言っちゃうそれ)
老い先も短いからだ
そこを見たくない
歳を取れば取るほど、過去を振り返るようになる
あの頃ぁ~良かった、って笑
自分の生き様を振り返るようになる

その時に昔乗っていたアイテム
これがグッと心に来て懐かしく思うんだ
具体的には若い頃乗っていた、走っていた
懐かしの車やバイクね
当時はほしくてほしくてたまらなかったな~とか

その名車は今でも買うことができるし
乗って昔を思い出すことができる
私で言うと1993年式のAZ-1や
1993年式の2スト・CRM250Rだ
1993年と言ったら、まだ私は入社したての青二才の頃だ
(今は青三才くらい)
友人とバカいっぱいやったなあとか
あんなとこ突っ込んじゃって、とか
その頃の思い出が走馬灯のようによみがえってくる笑

つまり、若い頃車バイクに親しんでおけば
車バイクというハードウェアは持ちがいいので
プレイバックする時にちょうどいいのだ

ではスマートフォンではどうだろう?
たぶん20年も経てば、まったく使い物にならないだろう
電子の世界はムーアの法則よろしく
技術革新が早過ぎるので・・
つまり、昔を思い出して余韻にふけることはできない
寂しい人生が待ち受けているのだ

若い人はその辺の感覚がまだ分からないと思う
これは年寄りからの助言だ
若い頃は車バイクに親しんでおくと
明るい老後が控えている
(なんちゅう説得の仕方だ笑)

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