2014/04/05

軽自動車の歴史を知る

今日は業界団体の、ある工業会の会合に出席
家からひさびさ電車です

家の近くのいちご狩り・・のどか過ぎるだろおい
一応横浜市です、観光地ではありません
ビニールハウスは大雪で潰れなくてよかったね

久々公共機関に乗って、運転を人に任せます
まさにアウトソーシングだね
乗ってる間、自動車関係の本を読むことができました
軽自動車 進化の半世紀
 日本初の軽乗自動車の名は、「オートサンダル」笑
当時は新しい車を作っても
なかなかそのことを日本全国に伝えられなかったとのこと
今のようにITもなんもないからね

そんな時(1954年)
第1回日本自動車ショー(現・東京モーターショー)は
新車を国民に知らしめる唯一の手段で
出す方も観る方も大いに盛り上がったって
http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/200210/07.html
なるほどねえ
ショーの役目があったんだね

やっぱりリーダースのドラマのように
銀行が黎明期の自動車会社に金貸すのは博打だったって書いてある
設備投資だけすごくて
車が売れないと莫大な負債を抱え込むから
今の花形自動車産業と大違いだね・・

国(通産省)は輸入車の台数を制限して
国産車を守っていたことも分かった
当初は自動車も自立せずに守られていたんだ・・

国は国産自動車メーカの数も制限しようとしてた
(自分でコントロールできる範囲のメーカにしようと画策)
普通車はトヨタ、日産のみ
スズキ、ホンダは軽自動車のみ造れとか・・
ホンダスポーツ500はその反骨から出たんだとか
(当時の軽の排気量は360cc)
結果的にその法案は通らなかったとさ
めでたしめでたし

そういった時、国と一生懸命交渉したのが
自動車メーカ達が一同に集まった
日本自動車工業会だったり
業界団体というのは大事だったりします

しかし久々公共の交通機関を使って
私の行動はいびつだなと思ったのは・・

・基本的に普段は人に運転を任せない
 (自分の車やバイクを愛用)
・混雑した逃げ場のないエスカレータは乗らない
 (広い階段を愛用)
・ホームの先頭には立たない

って、お前はゴルゴ13か!って位、慎重です
(臆病なだけ笑)

ちなみに車ですごく安全なメーカというのは
実は昔からボルボですが

世界初の歩行者エアバッグ
事故現場に駆け付けて事故検証を行う

お前はボルボ13か!・・失礼いたしました

土日はバイク試乗会があります
果たして今乗ってるZX-12R(2000年)を超えるバイクがあるでしょうか!?
 以前の愛車、V-MAX(1997年)
この2台、パワーは2台とも同じようなフルパワーが出てますが
車体の、フレームの剛性が段違いだったりする

限界領域の話だけど
V-MAXの細い鉄パイプのフレームは
とにかくねじれ曲がる
ちょっとねじれたかな?というレベルじゃなくて
大ダコのようにグネングネンの軟体動物になっていた
当然いつ破たんして吹っ飛ぶか分からず
V-MAX乗りの方には悪いけどそれが原因で
フレーム剛性の高いZX-12Rに買い換えたわけですが

ZX-12Rの剛性は月とスッポンのように
世界最高峰のアルミボックスモノコックフレームで
どんな走りをしてもねじれることを知らなかった
なにこの安心感・・乗り換えた時は
その車体剛性の高さに驚いた

というふうにバイクに関しちゃ舌が肥えちゃってるので
基準がZX-12Rになっちゃうと
排気量、パワー、剛性、これを超えられずに
全てグレードダウンになってしまう→満足できない
という恐れがあります

・・意外と最新型の方がその他の面全て良くて
すごく満足したりして笑
14年の歳月は大きいかな・・

0 件のコメント:

コメントを投稿